田畑や庭は、人間が手入れすることによってその存在が保たれ、誰の持ち物であるのかによってものの見え方や風景そのものが違ってみえてきます。

持ち主がいなくなった「庭」や、あたらしい持ち主があらわれた「庭」には、人と場とのぎこちない関係性が浮かび上がります。

 

所有と境界。「わたし」の表面はどこにあるのか

 

 

 

展示物A

 

映像作品は私自身の幼少期の「庭」で撮影された35mmモノクロフィルムをつなぎあわせたものと、当時の記憶からその所有を取り戻すために試みた行為 (※1) の記録、その際使用されたオブジェクト、ドローイング(※2)という構成になっている。

 

 

 (※1) かつての「庭」は、その大きさすら曖昧で、境界線を見失ってしまった。唯一おぼえているのは畑の山と谷との連続の、どこの谷を道にしていたかということだった。あしのうらで土を踏みしめた感覚を頼りにして、わたしの獣道、35歩の短い道のりの再現を、鎌による草むしりで行った。

 

   (※2)  記憶の畑の境界線

 

 


展示物B

 

今日、深刻な原木不足により原木栽培を断念せざるを得ないしいたけ農家が増えている。平野で椎茸栽培をしようと思えば、山から木を買い、長い道のりを何往復もして運び出し、菌を植え、ビニールハウスで管理し栽培することになる。原木が減り、がらんと空いたビニールハウスには、かつて原木を支えていた長い板が何枚もころがっている。この板は、実際には重たい原木に左右から「支えられて」自立していたのだった。不要になった板は野外に放置され、雨風に晒され腐敗していく。わたしはその板を拾い、包帯や蝋 (※3) を使って保護し、ふたたび自立させようと試みている。(※4) 

 

また、冬から春に向けて行われる植菌の際、原木に穴を開けて出た大量のおがくず、その中から見つけだされた試し打ちの椎茸菌糸の欠片、菌糸瓶の入っていた段ボール(※5)などを設置。


 

 (※3)「封蝋」と呼ばれるもので、実際に椎茸栽培に使用されている。植菌時に開けた穴や皮が剥がれた箇所、傷ついてしまった部分に塗ることで皮の代わりになり、きのこが生える前に木が腐ることを防ぐ。

 

   (※4) ここで展示された板は使用されていたときとほとんど同じ長さ(およそ3.6m)で残っていた数少ないものだったが、蝋を塗ることによって重くなり、作業中バランスを崩し、台の下敷きになり、ふたつに折れた。

 

 (※5) おがくずを詰め、蝋で蓋をした瓶が20本入れられている。当初段ボールに合わせて瓶を選んだわけではなかったが、不意に瓶を段ボールに詰めてみようと思い立ったところ、大きさも高さもぴったりとはまった。それは単なる工業製品の規格ではなく、身体に染み付いたもののスケール、「かたちの記憶」が存在しているからかもしれない。

 

 




photo :  Kaori Yoshihara