松栄ハイツについて 

帯研:http://www.yhdzn.com/obiken/about/ 

 

2017.04.10-04.13

東京藝術大学 Yuga Gallery

 

松栄ハイツにはじめて足を踏み入れたときから、もうそこは無くなるという話が進んでいた。勝手がわからず文字通り立ち尽くすような瞬間に足元に見えたのが、玄関に散らばった緑の粉だった。わたしはあり合わせの瓶と箱、布を使ってその粉を東京に持ち帰った。年が明け、松栄ハイツのほんの少し南の、鏡石町ということろに住み始めた。3月半ば、わたしは捨松に通い、機織りを習った。そこで玄関マットを模した布を織った。あの緑の粉の正体は、ちょうど帯と同じような幅の、長さが70cm程の玄関マットの繊維だった。経年劣化で粉となっていたものと、目が合ったということだった。


はじまりは半分という意味の韓国のことわざがある。わたしの研究は滞在施設の廃止と共に始まった。でも松栄ハイツのこれからは、帯研と時を同じくして、すでに始まっていたことなのかもしれない。そこに流れはじめた時間を尊重し、過ごしていければよいと思う。