石橋財団・東京藝大油画 海外派遣奨学生展

 

2017.10.24-08.29

東京藝術大学 陳列館 (東京)

旅について

 

 ある陶芸家が彼自身の父親の骨壺を制作したことをきっかけに、わたしは初めて骨壺に収まり、それを大切に守るための墓を建てること、生涯その墓を世話し、死後に備えて育て上げることにあこがれを持つようになった。どのような墓をつくるかを、具体的に考え始めたとき、土葬の墓の、土が盛られている状態、特に韓国の小さな古墳群のような個人墓地に強く惹かれた。韓国を中心に周辺国の墓を参り、そして自身の墓についてのプランを作成、発表することを渡航の目的とした。

 

 訪れた土地は、日本(対馬・沖縄)韓国(釜山・ソウル・済州・慶州)台湾(台北・九份・台中・台南・高雄)など。 石を積んだだけのちいさな墓、4・3事件の漂流者を祀った対馬の墓、1000年前の古墳群や、日本統治時代に建てられた釜山の日本人墓地。それらが無縁仏となり、朝鮮戦争から逃れて来た人たちが住み始めてできた村。特攻隊の飛行場跡に並んで作られた、石垣のある済州の土まんじゅう。台湾籍日本軍の墓。鳥居だけが残る台北の公園。現在の日本人遺骨安置所となっている墓地や、公園予定地にひっそりと残る、大陸文化を匂わせる沖縄の墓。墓ではないけれど、強制的集団死のあったチビチリガマ。戦時中は防空壕のようにして親族が身を隠したと言う、古い石積みの墓。墓をみることは人をみることであり、歴史をみることでもある。

 

 墓は壺やその中に眠る死者だけでなく、時に生者の身を守る一方で、多くの墓が都市開発やその他の事情で壊されたり、移動を余儀無くされている。特に高雄の日本人遺骨安置所を訪ねて行った市営墓地は、今まさに工事中で、残されるのは大きな功績を残した台湾人の墓数カ所と、回教墓地、日本人遺骨安置所だけだと言う。何もなくなった墓をみたショックを引きずりながらたどり着いた沖縄でも「ここは公園予定地です」という看板を見つける。看板の脇を進んでいくと、やはり古い墓がたくさん残されている土地だった。来年までにはほとんどの墓が近くの墓地などへ移動することになる。

 

 釜山で家や石垣の一部として確認できた墓石の、一番新しい年号は昭和16年だった。太平洋戦争が始まってからは墓など建てる余裕もなく、終戦後は建てた墓もどうすることもできずそのまま引き揚げてきたのだろう。

 

 墓が墓であり続けることはどんどん難しくなっていくような気がした。墓がどのようであると良いのかは、ほとんど思いつくことがなかった。しいて言えば対馬などに残る「両墓性」に学ぶと、様々な制約をすり抜け自由な墓を作ることが出来そうな気はする。

 

 

 旅を振り返りながら思い出したことは、我が家の墓はその地域で唯一信号のある交差点に隣接しており、いつかなくなるだろうと昔から聞かされてきたということだ。新しい住まいとなり、身体となるべき墓は、できればずっとそこにあってほしい。

 

 

 

1.  石を移す  To reflect the will    

 

無縁仏となった墓をフィルムに収め、プリントした。墓は石に写され、印画紙には石の影だけが残った。あらゆる土地の無縁仏がひとつの石に移される。(対馬ほか,日本各地)

 

 

2.  転用石  Diversion stone

 

かつて日本人墓地と火葬場のあった土地で見つけた石垣には『昭和十六年』『 家之墓』と読める石が含まれていた。朝鮮戦争から逃れてきた人々が行き着くのは、山の上、坂の上のなにもないところだった。日本人が引き揚げ、無縁仏となり荒れ果てていたその土地に、墓石も建築資材として用いながら暮らしを一からつくっていった人たちが、今も石と共にそこにいる。(韓国 釜山)

 

 

3.  無縁仏  Deceased person (with no one to tend the tomb)

4.  筆談  Written communication

 

 

201012月に高雄が合併により大高雄市となったことで、市営墓地の公園化が検討された。201710月現在、ほとんどの墓は掘り返され、土の山だらけになっている。その山を抜けた先にある丘の上、墓地を見渡すように立つ日本人遺骨安置所には、墓地で暮らし、働いてきたおじさんが、何をするでもなく座っていた。拙い英語で話しかけるが、伝わらない。紙に「 ?」「 移動 ?」と書き渡す。多くの墓は隣に立つ大きな納骨堂に移されたらしい。墓地に向かう道には、かろうじて横断歩道があるものの、人が歩くようなところではなかった。公園化の理由は、近くを走る高速道路からの景観が悪いからだと彼は言う。家は残されるのか?この先仕事はあるのか?そこまで聞くより先に「こんなところに一人で来たら危ない」と諭され、お礼を言って別れた。(台湾 高雄)

 

(左から順に)